1つのきっかけ

先日は1つのきっかけで元農林水産事務次官まで務めた人が引き篭もりの息子さんを殺害するという痛ましい事件が発生してしまいました。本人の供述では隣接の小学校で開催されていた運動会の音に不快感を示した息子に対し、怒りの矛先が子どもに向いてはいけないとの思いから殺害するに至ったとの事。きっと先日起きた川崎市の事件の事を思い出してしまったのでしょうね。
この息子さんも、何かのきっかけで引き篭もりの生活をするようになったのだと思います。

人のきっかけは、その人の受け止め方で良い解釈にもなり悪い解釈にもなります。
先日の川崎の事件以来、SNS上では様々な意見が飛び交っています。
『死ぬのなら他人を巻き込まずに1人で死んで欲しい』とか『←的な発言はするべきではない』とか『周りが犯行を起こす前に何か手助けが出来なかったか』とか。

でも個人的には、周りの人が色々と考え発言しても、その当事者には響かない事の方が多いのではないかと思います。
今回の事件に対しても、様々な意見があるようですが、何かのきっかけで社会との関係を閉ざしてしまった人が、はたして他人の言葉に耳を傾けるでしょうか?
引き篭もるのも犯罪を犯すのも、その当事者の考え方が変わらなければ無くなる事はないのではないかと思います。

もちろん、そのような人を支援する事は必要です。
でも、支援は一次的なきっかけであって、永続的に続ける事は出来ないものです。
また現在の生活保護の受給世帯も200万世帯を超えています。
本当の生活弱者の救済は必要ですが、それを悪用している人がいるのも現実です。

行政側はただお金をばらまくだけでなく、本当の意味での自立を支援する策を考えて頂きたいですし、何より、社会から疎外されてしまっていると考えている人は、1つのきっかけを悪意と捉えずチャンスと考えて欲しいものです。

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